コメントへの応答です

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090702/1246468957
へのコメントの続き
http://d.hatena.ne.jp/nppaemon/20090703/1246649241#c
へのお返事

まずは、他の方との議論もありお忙しい中、お返事ありがとうございます。
 
なるほど、エロゲーだけの問題では無く「ある種のポルノ」全般を問題にされている、と言う事は承知しております。言葉足らずであったのはお詫びします。何分、議論自体滅多にしない、というか避けて来たもので不慣れさにはご容赦願います。
確かに、良く読みもしないであやふやな記憶や印象だけで語るのは良く無いですね。 
 
一連の議論を読み返してみますと大変に疲れます。
昔、南京事件懐疑論のページを目にしてコロッと行きかけた私が「南京事件小さな資料集」に辿り付きまして、1週間ほど両論つき合わせて自分を納得させる作業をしていた時を思い出します。あの時も脳が割れそうになったので。なるほど、バカが慣れない事をするものではない、と実感しております。
ですが私もこのまま黙っている訳にはいかない、と思いここに居ますので、何とか応答を致します。
 
【1】
 問題の発端がレイプレイである事は間違いが無い、である以上「レイプレイまたはそれに類するレイプ描写の有るエロゲー」はそこに含まれるそう思いますがいかがでしょうか?それを前提としてお話をさせて頂きます。
 
「ある種のポルノに含まれるであろうレイプを題材とするエロゲー」では長いので以下「凌辱エロゲー」とさせて頂きます。
「我々、凌辱エロゲーのユーザー/製作者」も長いので「我々」とさせて頂きます。
 
>>「凌辱エロゲーは他者危害である」
>流通のあり方が被害者へのメッセージになるとは言った。
の上で
>「ある種のポルノ」とは、「ほとんどの性犯罪の被害者と潜在的被害者が嫌悪感を
>もつ、あるいは脅迫と感じるであろう性暴力の娯楽的消費」
 
今度は検索してみました。
これは我々が凌辱エロゲーを流通させ消費する以上、それが「脅迫」として機能しうる。そうおっしゃっておられるのでは無いでしょうか?
 
「我々が居るだけで被害者女性が恐怖を感じる」から「脅迫」になるのでは無いですか?
脅迫と言われれば、深刻な被害の可能性で脅かし何かを迫る事、なのだと思いましたので
>「存在そのものが被害者に深刻な被害をもたらす」
と書きました。これは後述で脅迫と修正いたします。
 
>「差別的」も人権侵害
の稿で示された

>構造的差別を考慮しにゃー自由主義、弱者に配慮しにゃー自由主義なんてものは、
>豚臭い強者の論理でしかにゃーのだ。
>差別的なるものは人権侵害だ!自由主義は強姦魔の味方ではない!
自由主義をおとしめるな!
 
この文章を「ある種のポルノ」に当てはめまして読みますと
配慮(作品内容を制限)しないで凌辱エロゲーを消費/作る事は「豚臭い強者の理論で」「強姦者の味方」になりませんか。
だって、女性が恐怖してる主体は凌辱エロゲーを消費/作る我々なんでしょう?
我々は彼女達にレイプ犯罪者「のような物」だと実際名指しで批判され、規制に追い込まれているのですから。
前後の文脈を見るに、彼女達にいかに恐怖されようが凌辱エロゲーを作る事は構造差別ではない、と言われているようには思えませんでした。
 
>>「女性の構造的差別を助長するのだ」
>商業ポルノ全般がそれにあたるという認識はしている。エロゲだけの問題ではない
 
エロゲーだけの問題ではない事と、私がそこに含まれる事に矛盾は無いですね。
私がそう言われた事は否定なさらないんですね。今までの所、「エロゲーだけの問題ではない」が内容自体は否定されないようですので、先述しました定義で書き直します。
 
「凌辱エロゲーは他者危害である」
「凌辱エロゲーを流通し消費するお前達の存在そのものが被害者にとって脅迫になる」
「凌辱エロゲーは女性の構造的差別を助長するのだ」

 と、id:tikaninemuru_Mさんはおっしゃっておられる。
凌辱エロゲーは「ある種のポルノ」に当然含まれるでしょうから、矛盾は無いでしょう。
 
【2】
さてその上で、
>君たちのほうが被害者女性よりも深刻な差別や蔑視にあっていると言いたいのかな?
 
私はそんな事を言っているのではありません。もちろん。
ただ一つ、本題とは別に言わせて貰いたい事があるなら、凌辱エロゲーユーザー/製作者である我々に対しても差別はある。普段から心無い言葉を直接・間接的に浴びせられている。10の被害があるので100の加害から差し引いて下さい等と言ってる訳でも無く、我々の受ける差別は別の加害で消え去る訳では無く、そこに有る。それだけです。
 
「なにそれコワイ」だけで規制される。レイプの幇助犯であるかの様に罵られる。社会状況が良くならない事を、社会そのものに対して働きかけるのでは無く、分かりやすい生贄としてバッシングされる。この現状だけでは「差別」には足りませんか。
 
本題に戻ります。
>「公共圏にその存在意義を認めさせる事が出来ぬのなら、淘汰もやむなし」
>しかも
>「公共圏は実質存在せず、責任はそこにあり、責任の取り方など無い」

には反論頂けないようですが、どうやら私の理解にはもっと根本的な齟齬があったようです。
 
【3】 
>そのような社会において、ある種のポルノは女性に対する恫喝として働きえる。
>だから
>そういう社会でなくなれば、暴力的なポルノも女性に対する恫喝にはならない。
>あとは自分で考えよう。
 
 女性に差別的でポルノが恫喝として働きうる、その様な社会を構成する男性全員に責任があり、それをどうするか、と言う事ですか?
我々を含む「ある種のポルノ」のユーザー/製作者「だけ」に責任を迫っているのでは無い、のならば。
 
だとしたら早く税金を投入して司法制度内のセカンドレイプ防止推進を政府に迫るなり、(婦警を窓口に置く、女性裁判官を用意する事や、女性弁護士も有効でしょう)もちろん冤罪を防ぐ為に比較考量はして頂かないとなりませんが。犯罪被害者への罵倒を防ぐ為に人権教育に働きかけるなりされてはどうでしょう。何よりも、WEBで活動をされているのですからネット上の対抗言論でよろしいのでは無いでしょうか。
それも、今現に行われている女性差別の源である男性社会へ。

 私ですか?税金をその様に使われる事に私自身は反対しませんし(むしろ歓迎します)、個人のリソースで出来る事等その程度でしょう。少なくとも私は健全な社会を維持する為に税金を払っているつもりです。「ある種のポルノを消費/製作している個人個人」に「何か特別な事」を「社会に対し行え」と言われているのでも無い限りはこれ以上に答えようが無い。私にだって仕事は有り、日々の生活があるのでこれ以上の何か「特別な事」は出来ないでしょう。
何にコミットするかを選ぶ自由は我々にも有る筈です。
 
他にも政治家の政策を調べ、投票をする相手を選ぶ事行為等も出来るでしょうが、今はもちろん、現在進行中の表現規制から自分達の文化を守る為に票を使うでしょう。私の票は1つしか持って居ないのですから。
 
つまる所、犯罪被害者に対して「配慮」を行え、という程度の生ぬるい要求をされて居るのでしたら、私自身には何も反対する理由は無い。
furukatsuさんですら、「犯罪被害者本人」にうかつに言葉をかける事が罵倒として機能しうる事を知っている。それはid:tikaninemuru_Mさん自身が認めておられる。
違いますか?分かりやすく一言で言えば
(被害者女性への)「配慮だけならfurukatsuでもしている」
です。
 
彼は南京事件の被害者や遺族への配慮を忘れ、故に総括され自己批判を迫られた。
それはよろしいでしょう。「知るかボケ」そう言う前に出来る事はある。というのならid:tikaninemuru_Mさん自身が示されてはどうでしょう。
 
【4】
問題はその「配慮」を「誰が」「どの様に」求めるのか、という事は依然として示されていないままだという事です。「公共圏」の内実です。
 
>僕が決めたら公共圏もクソもないじゃん。
 
 私はてっきり「公共圏」とは「村上春樹をはじめとする諸芸術家を政治的に叩く人達の為の場所」かと思いましたが、どうやら思い違いの様ですね。これは失礼しました。疑念はこの一言で晴れました。
いえ、本当に思い違いだったようです。その代わりに違った疑念も、芽生えました。
 
本当に
>「べつにどんなゲームがあっても一向に構わない」でFA。
なのでしたら「ある種のポルノ」をどこでどうやって「淘汰」するのか、などと言う迂遠な議論は早々に打ち切られて、性犯罪被害者の救済方法をどのように社会に働きかけるか。という本題から始め直されてはいかがですか?
明らかに順番を間違っておられませんか?
今までの議論は何だったのですか?
 
エロゲーを規制しても性的被害者へのセカンドレイプは減らない所の話ではない。
あなたは誰の為にこの議論を続けられているのですか?レイプ被害者救済の為?
……ご冗談でしょう?まだ見ぬ将来のセカンドレイプ被害者を減少させる為に行う議論としては、「存在もしない場所」で「ある種のポルノ」を「淘汰」する方法を論じる事は、明かな遠回りなのでは無いですか。
 
 その上でなお「ある種のポルノ」を淘汰する「公共圏」の議論を続けるのでしたら、私は一つの疑念を提示いたします。
この「公共圏」の議論とは、例えば人権擁護法案に「ある種のポルノ」の淘汰も含めるような改正を意図されているのではないですか?これは、そういう政治運動では無いのか?と。
 
【5】
 18歳未満はこれより先に入ってはいけない、この先には性的表現が存在している。
そう分って居ながらも見る人が恐怖を感じる、というのは、私にとっては「言いがかり」以上には見えませんが、なるほど、現実・WEB上のゾーニングは確かに境界線が緩やかになる場合もあるでしょう。ここより性的な物が有る、そういうバナーを見るだけでも、女性の中には不快感を感じられる方も居られるかも知れません。
我々側の努力ではどうにもならない線、というのは至る所に有ります。これも技術の進歩次第ではどうにかなるかも知れません。未来の事を論じても仕方が無いので、今は現場での綱引きで決めるしか無いのでしょう。
 
 さて、ここで私達が言える事は何でしょう。
理論的に言えば、レイプ「のような」ポルノ、凌辱エロゲー(しかも実在の女性が題材でも無い)を見て怯える人に対して言える事は「それは被害妄想だ」「病院へ行く事をお勧めする」でしか、無い。
「怖がる人が居るので規制」などがまかり通るなら我々は存在すら出来ない事になる。彼女達が怯えているのは、当然表現そのものでは無く「凌辱エロゲーを消費する我々」がいつか自分をレイプするかもしれない、と言う恐怖だからです。

この場合、我々が出来る事と言えば「実際に凌辱エロゲーをプレイする人が増えても、性犯罪は増えて居ない」と言ったデータを提示し「あなたが怯えている事は被害妄想でしか無いのだ」と諭すしかないでしょう。
もちろん、そんな事に意味は無い。「恐怖」というのは理論など関係無く発生する物ですから。車「のような物」であっても官憲「のような物」であっても性犯罪者「のような物」でも。
理論的ではないのは当たり前でしょう。

ところが、被害者女性に直接「被害妄想」「病院へ行け」というのは、罵倒/ヘイトスピーチとして機能しうる。
誰かを傷つけたい訳では無く、ただ我々の性欲を発散させる為に凌辱エロゲーを流通消費していた者であれば、何かを言いかけ、差し出した手を力なく下ろす事しか出来ない。
せいぜいが言葉をかけて「あなたは悪くない」しかなく、誰も恐怖の対象からそんな言葉を聞きたくはないでしょう。言葉が届くには奇跡の類が必要です。
我々の言葉は彼女達に対して、無力です。
 
我々にはゾーニングとレーティングしか無いのです。
例えそれがどんなに「ロクでもにゃー」としても。これは人的技術的社会的限界かも知れません。時に世間様からの要請でゾーニングの線引きを変える必要に迫られる事もあります。これは現場での綱引きで決めて行くしかない。
業界が出来るコミットメントと言えば「綱引きを止めない」事では無いでしょうか。
そして、それは既に行われている事なのです。